Essential Talk 第2回

2015年2月1日

「最強」を達する

「強さ」への渇望が原点

黒原:
今回は小早川さんの競技人生について伺っていきたいと思います。パワーリフティングの前には別のスポーツをされていたのでしょうか。

小早川:
色々やってはいたのですが、「詰めて」やったものはなかったです。

黒:
「とことんまでやる」というようなスポーツをしてこなかったということ?

小:
はい。一方で、「何かを達したい」という気持ちはあったんですけどね。全国大会に出る、日本一になる、というレベルで。でも、それが見つからなかった。

黒:
目指すレベルが高いですね。私はバレーボールをやるときに、そんなことまで意識したことはなかったです…。「パワーリフティングなら」と思ったのですか。

小:
パワーリフティングという競技を知ったのは、高校卒業後の進路を考えていた時期でした。正直、「これなら自分にも可能性がある」と思いました。それで、親を説得して、トレーニングの専門学校へ行くことを決めました。

黒:
どのあたりに可能性を感じたのですか?

小:
筋力には自信があったんですよね。私が出た高校はスポーツが盛んで、スポーツ推薦枠で入ってくる人がたくさんいたのですが、その中でも強い部類でした。

黒:
つまり、素質があったから始めた?

小:
ひとつはそうです。ただ、自分の気持ちを突き動かしたのは、「強さ」への渇望だったと思います。

黒:
素質とモチベーションですね。同じレベルで語るのはお恥ずかしいですが、私は身長が高いという素質と、跳躍への憧れというモチベーションがあって、バレーボールを始めました。

小:
逆に、私は背が低いことがコンプレックスで、周りから弱く見られてしまうのが嫌でした。だから、強さを外に向けて表現できる競技として、パワーリフティングに興味を惹かれたんです。「これなら、とことん詰めてやることができるぞ」と思えました。

競技者として「最強」の自分へ

黒:
そして、高校を出てから競技を始められて、全日本選手権で優勝されたのはいつ頃だったのでしょうか?

小:
24歳の頃でした。その後、これまで8回優勝しています。おかげさまで、日本記録も何度か樹立することができました。

黒:
「何かを達したい」という想いを実現できたんですね。

小:
いえ、全くそんな気持ちはないです。世界では、最高でも5位くらいなので。

黒:
え!日本一ですよ!凄いことですよ。

小:
そのように評価いただけることはありがたいですが、自分の中では…。やはり世界で3位以内には入らないと意味がないと思っていますから。

黒:
大変失礼な質問だとは思いますが、その可能性はあると思っていらっしゃいますか?

小:
もちろんです。年齢的に39歳ですので、のびしろが無いように思われるのかもしれませんが、「最強」の自分にはまだまだ届いていない。だから、そこに辿りつきたい。そうすれば、世界で3位以内も狙えると思っています。

黒:
「最強」を達するために、どのようなことが大切だと思っていますか?

小:
若いときには、とにかく自分を追い込むことばかりをしてきました。無理をして、「とにかく、やったれ!」ですよ。で、ケガをする。お尻の筋肉を断裂して、半年以上まともに歩けないこともありました。それでも治ってしまえば、また無理をして、ろっ骨を折って。まぁ、バカなんです(笑)

黒:
笑えないケガですが…。けれど、そういう攻める気持ちって、スポーツには大事ですよね。

小:
そうです。ただ、年齢を重ねると、それだけではダメですよね。ケガからの回復も遅くなりますし。だから、技術を高めること、体や心をコントロールすることが、より大切になってきます。若いときに比べてやらなければならないことが増えてくるので大変な面もありますが、「最強」に近づけている実感はあります。

黒:
では、そのような競技人生で得た経験を今後どのように活かしていくのか。第3回では、パーソナルトレーナーとしての小早川さんに焦点を当てて、お話を伺いたいと思います。本日もありがとうございました。

→第3回へ続く